心と身体

身体が弱ってくると、微妙な変化に気付く事があります。

最初に気付いたのはテレビの影響。

テレビから流れてくる音声や映像が、すごく体調に影響を与えるなぁと感じます。

言葉や音には波長があると、よく聞くけど、ホントその通り。

伝わってくるものが、すごくダイレクトに身体に反応する。

だから、番組によっては吐き気が起こったり体調が悪くなったり。

逆に、番組によってはスーっと身体が楽になったり。

好きな番組の好みもあるのかもしれないけど、こんな事、先月まではなかったから。

やっぱり、全部が同じではないと思う。

静かな音楽や優しい言葉が流れる番組からは、やっぱり柔らかいものが流れてくると思う。

もう一つは、タイトルのままだけど、精神面ってこれまたダイレクトに身体と直結してるという事。

体調が良いと気持ちも少し上に向くし、体調が悪いと前日とは打って変わって気持ちが下に向く。

同じように、気の持ちようで吐き気が楽になったり、考える内容によって目眩が増したり。

その落差のスゴイこと。

まだ不安定だから余計にかもしれないけど、もの凄く関係性があるなぁと心底感じます。

たぶん、健康な人が感じる以上にこの変化はよく分かる。

そして、健康な人よりもそれぞれに与える影響は大きい。

だから、1日の中で体調も気持ちも行ったり来たり。

この行ったり来たりが辛いとは感じるけど、今身体が緊張してるのかリラックスしてるのかのバロメーターになるから、やっぱり感じるのは必要なのかもしれない。

こうやって自分の変化を見ながら、身体を大事に大事にしていければ良いと思う。

にほんブログ村 病気ブログ 心臓・血管・血液の病気へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

ムッチャ久しぶりやわ

スゴイ‥、ブログ始めてからだいぶ経つのに、日記書いた回数のなんと少ない事!

いかに今まで心が不安定だったかが伺えるわ‥(笑)。

でも、負けてばかりはいられないので、数年前から生活を少しずつ変えました。

鬱とパニックの合間に、少しずつ少しずつ出来る事を増やしていきました。

かなり苦しいんだけどね(^^;。苦しいけど、そこを踏ん張り続けました。時には顔をパンパン叩きながら、時には身体をズルズルと引きずりながら、それでも毎日小さい事を続けました。

そうしたら、いつからか大きい大きい変化がやってきていた。

自分の身体も、心も、自分を取り巻く環境も、たくさんのモノが変わり始めていた。

あんなに暗闇の中から抜け出せずにもがいていたのに、今は目の前がパァっと明るくって眩しいくらい。

そりゃ、全てが順風満帆とはいかないけど、不思議な事が周りで起こるようになった。

欲しいモノがポッと目の前に届いたり、望んだモノがやってきたり、必要なモノが足元にあったり‥。

たぶん、前からそこにあったのかもしれない。

ただそれに気付けないでいただけで。

それでも確かに、大きい変化があった事だけはわかる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

サブタイトルにやっと絡んで

最近友達に「幸せって何?」と聞かれる事があるんだけれども、聞かれて改めて考えてみて、私としては、幸せは気付くものなのかなぁと思う。夢が叶うとか、イイ人と出会うとか、子供を授かるとか、そんな目に見える分かり易いものではなく、実はそこいらじゅうにコロコロと転がっていて、それに気付いて拾い集めていくものなんじゃないかなぁと。最初は小さい球で、それに粘土細工のように小さい幸せをペタペタとくっつけていく。不恰好になりながらもペタペタくっつけていくと、いつしか大きな一つの幸せになるのかなぁって。 それから、幸せの定義というか、自分の中の幸せの水準というか、一般的なレールの上に乗っている物事だけを幸せと感じるか、一見見逃してしまいそうなちっちゃなちっちゃな出来事ですらホワンと幸せな気持ちが沸き起こるか、その感じ方、捉え方にもよると思うのです。裕福な家庭に生まれて、良い学校に進学して、名の知れた会社に就職して、適齢期には結婚していて、家族を持って、子供が生まれて、マイホームを購入して。そういった大多数を占めるレール。その上を皆と同じように走るのが幸せと感じるのか。それとも、自分の家の庭に今日も花が咲いている。春には鮮やかな色彩に目がくらんで、夏になるとチョウチョウがハタハタと飛んで、ミツバチが花の蜜を運んで、秋の空にウロコ雲がイッパイに広がって、夕日のオレンジ色と青色がグラデーションになっている空がキレイで、冬になると空気中にキラキラを煌めく結晶が浮かんでいて、雪が積もったばかりの地平線に音もなくキーンとした清浄な空間が広がっていて。そんな目の前の変化を意識できた事を幸せと感じるのか。知らない音楽や知らない色や知らない景色、土地、人、匂い、感情、とにかく自分が知らなかった事に出会えた時とか。あとは、自分の足で歩ける事、自分の口で美味しいものを食べて、目で見て聞いて感じて、考えて、知って、伝えて。当たり前すぎて当然だと思っている事ですら、失った時にはその愛しさに気付く。気付いてまた手に入れる事が出来たら、それは何よりもの幸せになる。でも失ったままだったら?その代わりに別なものに気付くかもしれない。支え、勇気、力、感謝、笑顔。そしてまた新しい幸せをペタペタとくっつけていく。そうやって歩いていて、フと立ち止まってみたら、目の前にプカプカと浮かんでいる幸せの球に満足するかもしれない。最後の最後に一言「幸せだったなぁ」。そうポツリと呟けるかもしれない。それはとても素敵な事だと思う。最後に口から継いでる言葉。それは何の掛け値もない本音。だからこそ、「幸せだった」と言えるのはとても素敵。そして、分かり易い幸せをいくつか持っている人と、小さい幸せを集めて集めて一つにしてしまった人と、その大きさを比べてみたら、きっと一つにしてしまった人の幸せは色んな形をしていて、色んな色をしていて、広く深く大きいと思う。きっと、目を見開いて耳を澄ませて鼻をフガフガ広げて、手を広げてグルっと周りを見渡したら、それだけで「うわァ~~」って感情が風になって自分を取り巻くんだと思う。その気持ちに心地良く浸りながら、あれ、これってつまり?って考えたら、「良かった~」とか「素敵~」とか「幸せ~」って事なんだと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

サブタイトル

なんやエライ洗練されたっぽいサブタイトルがついてますが、中身が洗練される事はまずないんじゃないかと‥思うなぁw。

でも、時々真面目にね、今まで何らかの形で書こうと思っていたものを少しずつ紹介していけたらなぁと思います。

もう恥も外聞もこの際置いといて、折角のネット空間ですからね、普段抱えてる世間体とか偏見とか善悪とか、そんなもんをスッパリと捨てて、自分の中にあるものを吐き出していきたいですよ。

だってオフライン空間って、対人間なワケだからとにかく色んなものが取り巻きますよね?

言いたい事だって言えない、自分すら演じる事だってある。伝わらない事も多く、伝えたいのにそれが出来ない事も多い。

でもそれは他人と共有する空間だから避けられないものです。それが歯痒くも自分の心にトラウマを作ってしまったり、コンプレックスを作ってしまったりする。一生のうちにやり切れない時間を作る事だってあるでしょう。全てが空回りしてしまう時があるでしょう。

本当は違うのに周囲が決め付ける自分。そんなものに苦しめられる事もあるでしょう。

そしてそれは個人だけの経験であり、芽生える心もまた個人だけのもの。自分が思っている事と周りが思っている事にはだいぶ隔たりがあります。

なんか、そういうのも含めて書いていこうという趣旨からこんなサブタイトルが付いちゃったんですね‥。

私という人間はまだ若輩者ですが、それでも心に芽生えた感情はたくさんあります。1日1日を過ごす度に更新されていく感情。心。知識。

未熟ではあっても、その時はそれが一番の結論です。明日は別の感情が芽生える。それを知っていれば、今を一番を考えるのもまた良し。

けれど心はいつも柔軟に、白か黒なんて存在しない自由な心はいつも追い求めるべき。固定観念、偏見、それは捨ててしまいたい心。

そうやって、1日1日を先に進んでいくのです。

壁にぶち当たって思い悩んでよく止まるけどねw。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|